いねむりの実験室

マウスとトラックボールに大きな差があるとはいえないという話

2021/12/06

 先日、FPS用にゲーミングマウスを購入しました。自分は昔からトラックボールを愛用し、FPSさえトラックボールでプレイしてきました。ただ、周囲の"マウスのほうが良い"という声に若干の引け目を感じないわけでもなく、いよいよこの判断に至りました。マウスを購入したあと第一に考えることはその感度についてです。eDPIという概念があります。単純なマウス感度を表すDPIに対して、ゲーム内での感度をかけ合わせた数字がeDPIです。巷のサイトによると、ApexLegendsのプロプレイヤーにおけるeDPIの平均は1100程度だそうです。衝撃──。

 衝撃を受けました。自分はいわゆるハイセンシと呼ばれる部類に属していたのです。トラックボールを使っているとき、自分はeDPIの概念を知りませんでした。eDPIに相当する実効の感度というのは、多くの場合"振り向き"によって表されてきました。トラックボールは振り向きを測るのが難しく、振り向きの計測によって齎されるそのローセンシやハイセンシなどの組分けに、適合しないものと思っていたのです。勿論トラックボールにもDPIの概念があり、感度を変えることができます。その点ではローセンシであるとかハイセンシであるという議論ができないわけではありませんでした。ただマウスのそれと同じ尺度で分類ができるとは思っていませんでした。振り向きと違い、eDPIならマウスとトラックボールの境なしに同じ感度を同じ値として表せます。

 さて、ここにひとつ疑問が浮かびます。今までFPSの成績が芳しくなかったその理由についてです。トラックボールだから成績が芳しくなかったのか、それともハイセンシだったから成績が芳しくなかったのか。周囲の声によればそれはトラックボールだからということになります。しかし射撃練習場での撃ち比べでは、感覚としてはそのエイムぢからに差はありません。eDPIを1100程にすると、マウスでもトラックボールでも今まで以上にアタるようになります。真相を明らかにする方法として"統計"の二文字が脳裏によぎりました。

 統計は難しいです。とても難しい。統計に関しては素人です。全く知りません。知りませんが、有意差という言葉は知っています。多分、有意差の有無を調べればトラックボールとマウスの戦績に差があるのかどうか、分かるんじゃないかと思います。有意差を手がかりに検索をかけると、ウェルチのt検定なる手法が見つかりました。付け焼刃を前提にこれを試みます。幸いGoogleスプレッドシートにはt検定の関数が用意されており、簡単に利用できそうです。データを集める前に有意水準とサンプルサイズを決めます。サンプルサイズの決定はなお難しく、目標にする検出力と効果量を設定することで決定できるようです。信頼性は不明なものの、計算できるサイトを見つけました。それぞれの値には統計でよく用いられている……と思われる、有意水準0.05、検出力0.8、効果量0.8を設定します。するとサンプルサイズは1群につき26と相成りました。合計52回。トラックボールとマウスを1戦ごとに交互に使って、ダメージ量を記録していきます。効果量0.8はかなり"差がない"ことを期待した設定ですが、これを0.2などとすると788回の戦闘をこなさなければいけませんからこれで妥協します。かくして52回分のデータが集まりました。

ApexLegends ランクマッチ シーズン11 試合毎与ダメージ
トラックボールマウス
デバイスM-XT2DRG304
M-B1RDG240t
DPI15001500
ゲーム内感度0.70.7
ゲーム内AIM倍率11
eDPI10501050
与ダメージ153170
90322
91234
18466
308130
7160
17915
75356
13168
111424
415156
160126
146379
9013
236150
56301
1172298
147391
4790
14261
19195
30432
17769
3246
120124
745546

 ……弱くない?

 ともかく、これが生のデータです。マウスは幾年振り、トラックボールは感度を落とした直後という状況からの計測です。習熟度の差が少ない状態で記録できたと思います。実際はGoogleスプレッドシートで記録していますから、入力するそばからp値が算出されていきます。結局、それらの値は次のようになりました。スプレッドシート上の与ダメージデータの位置はトラックボールがB23:B48、マウスがC23:C48です。

関数トラックボール関数マウス
平均与ダメージ=AVERAGE(B23:B)187=AVERAGE(C23:C)250.8461538
中央与ダメージ=MEDIAN(B23:B)115.5=MEDIAN(C23:C)202
標準偏差=STDEV(B23:B)253.3437191=STDEV(C23:C)193.6579856
分散(標本)=VAR(B23:B)64183.04=VAR(C23:C)37503.41538
分散(母)=VARP(B23:B)61714.46154=VARP(C23:C)36060.97633
関数結果
F検定=FTEST(B23:B,C23:C)0.186130211
t検定(スチューデント)=TTEST(B23:B,C23:C,2,2)0.3122088456
t検定(ウェルチ)=TTEST(B23:B,C23:C,2,3)0.3125452965

 F検定というのは分散を比べる検定です。t検定は2つのサンプルが正規分布であることを前提にします。正規分布をグラフに起こすと山のような形になります。この山の裾野の広さが分散です。F検定の結果、2つのサンプルで分散が等しいとなればスチューデントのt検定を、分散が異なっているとなればウェルチのt検定をするそうです。ただ最近[いつ?]では分散が等しい場合であってもウェルチのt検定をするという話もあります。ここではその風潮にしたがってウェルチのt検定を考えることにします。

 結論を出す前に、対立仮説と帰無仮説について知っておく必要があります。対立仮説とは今回の検証でいう"マウスとトラックボールで与ダメージに差がある"という仮説です。t検定をするとき"差がある"という主張が対立仮説になります。一方、帰無仮説とは"差がない"という仮説です。帰無仮説を否定(棄却)することができれば、つまり"差がある"ということになります。帰無仮説を棄却できるのはt検定で算出される値が有意水準以下である場合です。この場合にのみ"差がある"という結論を得られます。では上記の表から実際に算出された値を見てみましょう。ウェルチのt検定の値は0.3125452965で、有意水準として設定した0.05を超えています。有意差がない。つまりこれは……

 マウスとトラックボールに差はない、ではありません。帰無仮説が棄却できないというだけです。対立仮説が棄却されたわけではないので、結論としてはこうなります。マウスとトラックボールに大きな差があるとはいえない。これです。サンプルサイズを大きくすると僅かな差を検出しやすくなります。効果量を0.8とした今回の検証ではサンプルサイズが小さく、だからこそ大きな差があるとはいえないということまでしか分かりません。平均与ダメージなどをみるとその差は大きく感じますが、これもt検定の結果から、偶然そうなった可能性が否定できないということになります。これは殆どトラックボールの勝ちと言ってもいいでしょう。名誉は守られました。やったね!

🐈

 ……さて、ご承知の通りこの統計には誤謬が含まれる可能性があり、その点で無意味です。付け焼き刃、にわか仕込みによる統計で、間違っているかどうかの判断が付きません。例えば、最初に設定したサンプルサイズ、検出力、効果量などもその設定が妥当かどうか判断できないのです。そしてさらに重大とも言える欠陥があります。それはt検定を用いたことの妥当性です。t検定はサンプルが正規分布であることを前提とした検定です。1戦ごとの与ダメージが正規分布になるのかどうか、これが分かりません。これらは尖度や歪度から推測したり、シャピロウィルク検定を行うことで分かるそうですが、自分の手には余ります。正規分布でないことを前提とすると、t検定ではなくマン・ホイットニーのU検定などノンパラメトリックな検定をする必要があります。おそらく求められるサンプルサイズも変わってきます。

 また統計の全てが妥当であったとしても、導かれる結論はあくまで自分の環境での話になります。差があるとはいえないという結論に至っても、これを以て一般のマウス全て、一般のトラックボール全てを論じることはできません。いわゆる早まった一般化になります。よってこのページの本当の結論は、統計のマジックに気をつけよう、というところです。不適切な統計は、それを行う人にとって都合のいい結果を齎します。誤りを看破るためには深い知識が必要です。統計だけを見て信用性を評価するのは危険です。

 以上を踏まえると、マウスとトラックボールの差を論じるとき、本当に参考になるのはその使用した所感についてかもしれません。52回の戦闘をこなしてみて思うのは、ポインティングデバイスが与ダメージや勝率に影響する度合いって少ないんじゃない?ということです。ApexLegendsにおける与ダメージは、エイムぢからだけで決まるものではありません。キャラクター、武器、降下場所、そして立ち回りに影響されます。ポインティングデバイスが多少劣るものであったとしても、他の要素が優れているなら十分に補えます。単純にエイムぢからについても同じことがいえます。一般にマウスパッドは大きいほうが良いと言われています。広い可動域を持ちうるマウスと比較すると、トラックボールの可動域は狭めです。確かにその点の不利はあります。しかし今回の比較は双方をローセンシ気味に調節しての比較です。ハイセンシにすればマウスとトラックボールの可動域の差は縮まります。ハイセンシであっても十分な戦績を残している人はいます。よってこれは感度の調節や習熟によって埋め合わせができる部分なのではないかと思います。また今回の比較ではマウス、マウスパッド共にゲーミングと謳われているものを使用しました。他方、トラックボールはそうではありません。マウスを持ち上げたときセンサーが反応しなくなる距離をリフトオフディスタンスといいます。今回使ったG304はこれが短く、ゲーミングマウスらしさを感じました。マウスパッドも同様です。その滑らかさ、サイズの大きさにゲーミングらしさがあります。今回、軍配を上げるとなればマウスの方になりますが、その差はゲーミングであるかそうでないかの差のように思います。FPSを念頭にデザインされたものがFPSに向いているというのは当然のことです。そうでないもの同士を比較したとき、マウスとトラックボールにどれほどの差を感じるかは未知数です。

 最後に、冒頭で呈した疑問について決着をつけようと思います。今までFPSの成績が芳しくなかったその理由、それはまさに"実力不足"です。今回の検証で分かったことがあります。それは感度やポインティングデバイスを変えたからといってすぐ戦績が改善されるわけではないということです。これらを変えて試行錯誤するより、ただ練習を重ねるほうがよっぽど戦績に貢献すると思われます。またデバイスの改善という点ではまだ手を出していないところがあります。それはモニターとパソコンです。FPSの上手い友人らはもれなく良いモニター、良いパソコンを使っています。リフレッシュレートや反応速度の良いモニター、それを支えるパソコン。ともするとこれらはポインティングデバイスより重要度が高いかもしれません。簡単に変えられるものではありませんが、いずれは試してみたいものです。

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